川崎競馬倶楽部ブログ川崎競馬の様々なシーンをお伝えします。 |
鎌倉記念にはエクセルチェイサーとテンダンが出走
2009-10-07-Wed-15:06
南関東の2歳重賞がスタートしますね。
鎌倉記念には川崎から高月賢一厩舎のエクセルチェイサーと池田孝厩舎のテンダンの2頭が出走します。
鎌倉記念といえばその昔はアラブの重賞でしたがサラ2歳の重賞として生まれ変わって8回目を迎えます。
このレース名はファン投票の中から決まった経緯があります。
地方交流として北海道から4騎がやって来て、全日本2歳優駿のトライアルレースという大事な役割もあります。

エクセルチェイサーはもっか4戦1勝。
「渋った馬場はいやだなぁ」としながらも「頭が高いからブリンカーを着用しているんだが、だいぶ落ち着きが出てきた」と鈴木義久補佐はまんざらではない表情。
初ナイターも鍵になりそうです。

おっとりした佇まいのテンダンですが、レースでは前走も不完全燃焼。
「トライアルでは3着だったが真面目には走っていなかった。すぐに息が整ったほどだよ」と岡田厩務員。
この中間の調教では対策としてシャドーロールを着用し「だいぶ集中するようになったよ」と今野騎手からもお誉めの言葉も。
「背や腰の筋肉がしっかりしてきたせいかカラダ全体を使ったフォームで走るようになった」とこれまでのレースぶりとはひと味違った面を見せてくれそうです。
鎌倉記念には川崎から高月賢一厩舎のエクセルチェイサーと池田孝厩舎のテンダンの2頭が出走します。
鎌倉記念といえばその昔はアラブの重賞でしたがサラ2歳の重賞として生まれ変わって8回目を迎えます。
このレース名はファン投票の中から決まった経緯があります。
地方交流として北海道から4騎がやって来て、全日本2歳優駿のトライアルレースという大事な役割もあります。

エクセルチェイサーはもっか4戦1勝。
「渋った馬場はいやだなぁ」としながらも「頭が高いからブリンカーを着用しているんだが、だいぶ落ち着きが出てきた」と鈴木義久補佐はまんざらではない表情。
初ナイターも鍵になりそうです。

おっとりした佇まいのテンダンですが、レースでは前走も不完全燃焼。
「トライアルでは3着だったが真面目には走っていなかった。すぐに息が整ったほどだよ」と岡田厩務員。
この中間の調教では対策としてシャドーロールを着用し「だいぶ集中するようになったよ」と今野騎手からもお誉めの言葉も。
「背や腰の筋肉がしっかりしてきたせいかカラダ全体を使ったフォームで走るようになった」とこれまでのレースぶりとはひと味違った面を見せてくれそうです。
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久保勇調教師、林隆之調教師が本日厩舎初出走
2009-10-07-Wed-14:47
6月1日付けで調教師免許を取得した久保勇、林隆之の両調教師が本日の同じ3Rで開業初出走を迎えます。

騎手時代にはエスプリフェザントの主戦を務めていた事で知られる久保勇調教師は1965年6月6日生まれ。大阪府出身。
エスプリフェザントで鎌倉記念、ケイシュウタイムで埼玉新聞杯を制しています。
父が春木競馬場でジョッキーをしていたため、自然と「同じ世界に進むんだろうな。」と思っていたそうですが、実際に意識し始めたのは中学生の頃。
3つ違いの兄(久保秀男調教師)が川崎で騎手を目指していたのがこちらに来るきっかけになりましたた。
「騎手はすごくやりがいのある仕事。ファンを裏切ってしまった事もあったけれど・・・。体重が落ち着いていたら、もっと乗っていたいという気持ちもありました。でも馬に乗るだけではなく、馬を作ってみたいと思い始めたので受けました」と調教師補佐の試験を受けて合格し、騎手を引退。
そして今日から久保勇厩舎をオープンさせます。
「今までずっと武井厩舎で学んだので、僕のベースはほとんど武井先生のやり方を参考にしています。昔ながらの基本を大事にもっと着色して、いいものを取り入れつつ、自分の色を出していきたいです。馬の気持ちを考えた調教をしたい。歩く行動一つをとっても、馬の気持ちを尊重して自分から歩きたい、走りたいと思うようにしていきたいです。」
モットーは、「第一に馬。第二に馬が安らげる環境。第三は厩務員。調教師は最後。」だそう。
厩舎カラーは元々好きな色という青と黒。
スタッフの三浦厩務員と二人三脚で10馬房のスタートですが、今開催にはまずは3頭が出走予定。

三浦厩務員とラナキラ
厩舎のデビュー戦になるのはラナキラ。
そして5日目の新馬のフェイスミラクルは、「期待しています。スピードは数字に出ていますから。900mだけでなく一周回る競馬も十分出来る。」と将来性も大の様子。
さらに「立て直せば今のクラスでも十分やれる。」というミヤビツヨシオーも出走予定です。

林隆之調教師は敏腕補佐として池田孝調教師のサポートをしてきましたのでパドックでもおなじみですよね。
(左から臼井厩務員、森厩務員、林調教師)
1973年2月1日生まれ。神奈川県出身。
早田牧場で4年の経験を積み、川崎の武井厩舎に来た後に池田厩舎に移り、8年で調教師の試験に合格。
元々厩務員時代から池田調教師のやり方が好きで、ずっと見ていたのだとか。
新しい厩舎も、「親方(池田調教師)のところで学んだいいところ、例えば馬に対する扱い方や、今までの概念に囚われないでいいと思うものを取り入れるやり方を大事にしたい。そしていい意味でライバルになれたら理想だと思う。」と今までの経験を土台に、自分の色を出していく気概です。
また、「競馬界は個人企業のようなやり方が多いけれど、それだと何かあったときに対応出来ないから厩舎全体で動けるようにしないと。野球やサッカーみたいに個人の足りない分を補いながらチームで協力して、最終的に調教師が補えれば。」と和を大切にしている様子。
厩舎の初出走となるオートホワイティ。休み明けのタワーオブバベル。
「未知数が逆に楽しみ」というマサヒロのオーナーは早田牧場の後輩だそうで、同じ牧場で働いていた人たちの繋がりが今でも大きな人脈になっているのだとか。
当時の早田牧場にはビワハヤヒデやナリタブライアン、マーベラスサンデーなどがおり、そこでの経験もかなり大きいようです。
まだチームカラーやマークを決めず、馬具も池田厩舎のものを使っているのは、「そういうのはまだ決めない。もっと自分で一人歩き出来る様になってから。馬をやる事に終わりはないけれど、池田厩舎とは別に林厩舎が動き出したと思えるときに考える。」という理由から。
目標は、「ファンを大切にしたい。そしてファンや馬主さんに信頼される厩舎をつくりたい。」
まずは森厩務員、臼井厩務員の二人のスタッフと10馬房でスタートです。

騎手時代にはエスプリフェザントの主戦を務めていた事で知られる久保勇調教師は1965年6月6日生まれ。大阪府出身。
エスプリフェザントで鎌倉記念、ケイシュウタイムで埼玉新聞杯を制しています。
父が春木競馬場でジョッキーをしていたため、自然と「同じ世界に進むんだろうな。」と思っていたそうですが、実際に意識し始めたのは中学生の頃。
3つ違いの兄(久保秀男調教師)が川崎で騎手を目指していたのがこちらに来るきっかけになりましたた。
「騎手はすごくやりがいのある仕事。ファンを裏切ってしまった事もあったけれど・・・。体重が落ち着いていたら、もっと乗っていたいという気持ちもありました。でも馬に乗るだけではなく、馬を作ってみたいと思い始めたので受けました」と調教師補佐の試験を受けて合格し、騎手を引退。
そして今日から久保勇厩舎をオープンさせます。
「今までずっと武井厩舎で学んだので、僕のベースはほとんど武井先生のやり方を参考にしています。昔ながらの基本を大事にもっと着色して、いいものを取り入れつつ、自分の色を出していきたいです。馬の気持ちを考えた調教をしたい。歩く行動一つをとっても、馬の気持ちを尊重して自分から歩きたい、走りたいと思うようにしていきたいです。」
モットーは、「第一に馬。第二に馬が安らげる環境。第三は厩務員。調教師は最後。」だそう。
厩舎カラーは元々好きな色という青と黒。
スタッフの三浦厩務員と二人三脚で10馬房のスタートですが、今開催にはまずは3頭が出走予定。

三浦厩務員とラナキラ
厩舎のデビュー戦になるのはラナキラ。
そして5日目の新馬のフェイスミラクルは、「期待しています。スピードは数字に出ていますから。900mだけでなく一周回る競馬も十分出来る。」と将来性も大の様子。
さらに「立て直せば今のクラスでも十分やれる。」というミヤビツヨシオーも出走予定です。

林隆之調教師は敏腕補佐として池田孝調教師のサポートをしてきましたのでパドックでもおなじみですよね。
(左から臼井厩務員、森厩務員、林調教師)
1973年2月1日生まれ。神奈川県出身。
早田牧場で4年の経験を積み、川崎の武井厩舎に来た後に池田厩舎に移り、8年で調教師の試験に合格。
元々厩務員時代から池田調教師のやり方が好きで、ずっと見ていたのだとか。
新しい厩舎も、「親方(池田調教師)のところで学んだいいところ、例えば馬に対する扱い方や、今までの概念に囚われないでいいと思うものを取り入れるやり方を大事にしたい。そしていい意味でライバルになれたら理想だと思う。」と今までの経験を土台に、自分の色を出していく気概です。
また、「競馬界は個人企業のようなやり方が多いけれど、それだと何かあったときに対応出来ないから厩舎全体で動けるようにしないと。野球やサッカーみたいに個人の足りない分を補いながらチームで協力して、最終的に調教師が補えれば。」と和を大切にしている様子。
厩舎の初出走となるオートホワイティ。休み明けのタワーオブバベル。
「未知数が逆に楽しみ」というマサヒロのオーナーは早田牧場の後輩だそうで、同じ牧場で働いていた人たちの繋がりが今でも大きな人脈になっているのだとか。
当時の早田牧場にはビワハヤヒデやナリタブライアン、マーベラスサンデーなどがおり、そこでの経験もかなり大きいようです。
まだチームカラーやマークを決めず、馬具も池田厩舎のものを使っているのは、「そういうのはまだ決めない。もっと自分で一人歩き出来る様になってから。馬をやる事に終わりはないけれど、池田厩舎とは別に林厩舎が動き出したと思えるときに考える。」という理由から。
目標は、「ファンを大切にしたい。そしてファンや馬主さんに信頼される厩舎をつくりたい。」
まずは森厩務員、臼井厩務員の二人のスタッフと10馬房でスタートです。